戦国時代から桃山期
豊臣秀吉の保護
応仁の乱以降の幕府の弱体化や寺社の衰退は、能に大きな打撃を与えた。大和猿楽においては新しい作品が創作され、一般民衆の支持にわずかに活路を見出したが、田楽も近江猿楽もほとんど消滅し、16世紀後半には有名大名を頼って地方へ下る能役者が続出した。(以後、能と言えば大和猿楽の能を指すようになる。)
豊臣秀吉は能の熱狂的な愛好家であった。自身でも能を舞い(金春流)、多くの「座」のうちから大和四座の保護者(パトロン)となった。以来、能役者は社寺の手を離れて武家の支配を受けるようになった。
※大和四座:観世(かんぜ)、宝生(ほうしょう)、金剛(こんごう)、金春(こんぱる)
この時期、豪華絢爛な桃山文化の隆盛を背景に、建築物としての能舞台の様式が確立され、装束も華美となり、能面作者にも名手が続出し現在使われている能面の型がほぼ出揃った。
参照 能舞台の歴史 https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc12/rekishi/hideyoshi/butai.html
能楽の面 https://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/whats/omote.html
江戸時代
幕府の式楽
徳川家康以下の歴代将軍も能を愛好し、四座一流(大和猿楽の四座に加え、新たに喜多流が認められた)が幕府の「式楽」と定められ、保護を受けた。能の中心は江戸に移って能役者の生活も安定していった。
また、地方の有力諸藩も幕府にならって四座一流の弟子筋の役者を召し抱えた。
多くの能役者は幕府の正式な儀式や将軍・諸大名たちの私的催しに出演し給与を受けていたが、同時に生活や芸事に関する厳しい監督も受けていたのであった。
能は新作をやめて古典芸能となり、世襲による家元制度に管轄され、シテ方・ワキ方など分業制度が確立する。レパートリーも固定化し、曲目は「書上(かきあげ)」として幕府に登録された。
江戸期を通して技法は洗練され芸は高度に発達したが、その反面で創作は停止し、芸の固定化が進んだ。
素謡の流行
能が江戸幕府の式楽となると、一般民衆が能と接する機会は少なくなっていった。
実際に能を見ることができたのは幕府の許可を得て各座の大夫が催す「勧進能(かんじんのう)」、将軍のお祝いの時に江戸城内に一部の町人を招く「町入能(まちいりのう)」といった特殊な場合に限られてはいたものの、町人の間で謡本(うたいぼん)が普及したことによって、「謡」が全国的に広まった。
参照 https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc12/rekishi/minsyu/index.html
※大夫:猿楽座の座長。
※謡本:能の台本に謡曲稽古用の譜をつけたもの。江戸時代は素謡(すうたい)の流行に伴って、おそらく国文関係ではもっとも多量な出版物となった。謡曲の一節を集めた「小謡本(こうたいぼん)」などは寺子屋の教科書となるほど普及した。
※素謡:能の略式演奏の一つ。型、囃子を加えず、謡(能の声楽部分)だけを演奏すること。謡が能から独立して演奏・鑑賞・稽古されるようになったのは主として江戸時代以降のこと。江戸時代から素謡専門の師匠も生まれ、大いに流行した。現在も謡を稽古する人は多い。
参照 (動画)
“<きょうの能楽師>素謡「高砂」第1走者 → 片山九郎右衛門(京都観世会会長)(かたやま・くろうえもん)” https://youtu.be/vO3TIOwAVw0
近代
2度の打撃、能楽の広がり
明治維新によって保護者を失った能役者の多くは廃業、転業を余儀なくされ、断絶した流儀もあった。しかし、外国の芸術保護政策の影響を受けて、国家の伝統芸術の必要性を痛感した政府や皇室、華族、新興財閥の後援によって、能は蘇生する。
参照 高田和文「能をめぐる文化交流-東と西、古典と前衛」
http://www.ritsumei.ac.jp/~hidedoi/noh06_takada.pdf
また、室町・江戸時代を通して一般に用いられてきた「猿楽」の呼称は明治期に入って「能楽」と改められた。「能楽」の名は急速に普及し、「猿楽」の呼称は滅びた。
第二次世界大戦ではほとんどの能楽堂、かなりの数の後継者を失い、再び大きな打撃を受けたが、やがて復興した。
戦後の新たな傾向としては、
◆1954年以降能の海外公演が頻繁に行われるようになり、高い評価を得る。
参照 the 能.com “能の海外交流“ https://www.the-noh.com/jp/oversea/index.html
高田和文(?年)「能をめぐる文化交流-東と西、古典と前衛」http://www.ritsumei.ac.jp/~hidedoi/noh06_takada.pdf
◆女流能楽師が公認(1948)される。
◆薪能(たきぎのう)を称する野外能が全国に広まり、120か所以上の定着をみる。
参照 佐渡汽船公式サイト “荘厳で神秘的な「薪能」の世界へようこそ” https://www.sadokisen.co.jp/?spots=takigi-noh
(動画)京都薪能 https://youtu.be/8gk6AJAptYg
1958年、能楽は重要無形文化財の総合認定を受けた(重要無形文化財の制度は1955年に発足)。
各個認定(人間国宝)された能役者も数多い。
また、2008年にはユネスコの無形文化遺産に登録され、芸能としての歴史的価値が認められた一方、現代にも生きる演劇として歩みを続けている。
以上、能楽の歴史であった。
南北朝時代から現代まで演じ継がれている能楽(猿楽)は、世界で最も長い演劇生命と伝統を持っている。
海外でも注目され、西洋との文化交流が本格的に開始した明治以降、演技や演出などの実践的な面で能の技法を取り入れようとするヨーロッパの演劇人も多数現れた。国内外の前衛演劇を志向する者たちにも能は関心を寄せられた。
現在演じられている能の大半は伝統的な曲目であるが、新作の創作や実験的な演出が試みられたり、英語による能が演じられるなど、新たな広がりも見せている。
参照 英語能https://www.the-noh.com/jp/people/sasaeru/011_englishnoh.html
《参考》
月溪恒子『日本音楽との出会い―日本音楽の歴史と理論』東京堂出版, 2010.
ユネスコ無形文化遺産「能楽への誘い」https://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/noh/jp/history/history1.html
文化デジタルライブラリー 「能楽」https://www2.ntj.jac.go.jp
能楽協会ホームページ https://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/whats/stage.html
the 能.com “能の海外交流“ https://www.the-noh.com/jp/oversea/index.html
日本大百科全書(ニッポニカ) 電子辞書版より 猿楽, 能, 謡曲, 謡本, 素謡, の項。