「日本音楽」という概念
日本音楽の範囲を「沖縄、アイヌ・ギリヤーク・オロッコを含む伝統音楽、および近代以降に日本人によって作曲された音楽」とする。
日本音楽のとらえ方
日本音楽はよくわからないという人が多い。
次の➀~⑨は「日本音楽が理解しにくい」理由として挙げられるものである。
➀平安貴族のような装束、法師や僧侶の姿、武士のような裃袴(かみしもはかま)姿などで演奏するかと思えば、コンサートでは洋装で演奏することもある。なぜそのような衣装の区別があるのか。
②能や歌舞伎など、演劇や舞踊中心の芸能だと思っていたジャンルも「日本音楽」か。
③神社で神主が唱える祝詞や、寺院で僧侶が唱える「ことば」のようなものも音楽か。
④三味線音楽などはどれも似ていて区別しづらい。
⑤一人で弾き歌いするときや、複数の楽器で合奏するときも、結局一つの旋律しか演奏していない。日本音楽には和声や対位法はないのか。
⑥日本音楽はどれも同じような音楽に聞こえる。
⑦何を言っているのか、ことばの意味がわからない。
⑧楽器の合奏、ソロがほとんどない。楽器はいつも、声に従属しているように聞こえる。
⑨楽器、種目、流派によって記譜法が異なり、楽譜が読めない。
これらの疑問は、裏を返せば日本音楽の特色といえるものである。これについて若干の説明をしながら日本音楽のとらえ方について考えてみる。
➀平安貴族のような装束、法師や僧侶の姿、武士のような裃袴(かみしもはかま)姿などで演奏するかと思えば、コンサートでは洋装で演奏することもある。なぜそのような衣装の区別があるのか。
現代演奏されている様々な種目の日本音楽は、古代貴族社会、中世武家・僧侶社会、近世庶民社会など、様々な時代に形成されたもの。それぞれの種目は「音の文化」だけが切り離されることなく、演奏の場や機会、装束、演奏上の約束事などをともなった「文化の総体」として伝わったため、ふさわしい衣装を身に着けて演奏することはごく自然なことである。
ここで重要なことは、様々な時代に成立した日本音楽の各種目が、変化や中断はあるものの、今日まで完全に絶えることなく「並立して共存」してきたことである。
②能や歌舞伎など、演劇や舞踊中心の芸能だと思っていたジャンルも「日本音楽」か。
日本音楽には文芸(歌謡、物語)、舞踊、演劇などの他芸術と密接に結びついたものが多い、という性質がある。日本音楽の大半が声楽であることも文芸や演劇との関連を密接にする要因となっている。それに舞踊が加わって総合的な舞台芸術を形成した。(この傾向はアジアの諸地域で多くの例が見られる。)
③神社で神主が唱える祝詞や、寺院で僧侶が唱える「ことば」のようなものも音楽か。
日本の声楽は、
・歌うような様式(詠唱)のもの・・・「歌い物」
・ことばを唱えたり語ったりする様式(朗誦)のもの・・・「語り物」
に分類することができ、どちらも音楽だとみなされている。
④三味線音楽などはどれも似ていて区別しづらい。
日本では旧様式から新様式が生まれるとき、旧様式が駆逐されるのではなく新旧が共存してきた。
(音楽学者の吉川英史はこのように種目が分裂し併存してきた現象を「並列的発展」「細胞分裂的変遷」と呼んだ。)
三味線音楽では、このような細胞分裂傾向が激しかったために、少しずつ違う種目がたくさん伝わっている。これらの違いを完全に判別するには熟練が必要。
⑤一人で弾き歌いするときや、複数の楽器で合奏するときも、結局一つの旋律しか演奏していない。日本音楽には和音や副旋律はないのか。
日本音楽は基本的にヘテロフォニー※。
大人数で歌ったり、大勢で同種の楽器を演奏したりするとき、単旋律(ユニゾン)になることが多い。
※ヘテロフォニーheterophony:
同時に進行する複数の声部が、装飾変形された同一の旋律で成り立っている音楽のこと。
日本音楽は、装飾法や時間的ずれによって日本独自の音の重なりとズレを作るところに特徴がある。
西洋クラシック音楽のような和音や副旋律の概念はない。
(つまり日本音楽の「売り」は、西洋クラシック音楽のようなハーモニーやメロディーの組み合わせとは違うところにある。そのため、ふたつを同じ物差しで測ることはできない。)
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日本音楽では、
・伴奏と歌や、楽器同士の旋律をずらすのが普通
むしろ同じリズムで演奏することは「ベタづけ」といって稚拙な演奏だとみなされる。
⑥日本音楽はどれも同じような音楽に聞こえる。
小さな「旋律型」を連結して旋律を組み立てる方法が日本音楽における基本的な構成法。
旋律パターンはそれぞれの種目に数多くある。
しかし、尺八曲を例にとると、
・似た形の旋律パターンが多い
・どの曲にもそれらが共通して使われる。 →「どれも同じ」という印象を与える
⑦何を言っているのか、ことばの意味がわからない。
理由は2つ
・歌詞や詞章がいわゆる古典文学で、古文や漢文に慣れない現代人には理解しにくいこと。
・ことばの一音節ごとに一音がつくのでなく、一音節の母音に様々な音高の旋律をつける歌唱法が多いこと。
(例)「み」
ラーシド とはならず ラーシドーシラ ミーファラーファミ などとなる。
みーずの みィーーーーー イーーーーーーーー
⑧楽器の合奏、ソロがほとんどない。楽器はいつも、声に従属しているように聞こえる。
日本音楽の大半は声楽。
楽器だけで演奏される伝統的な日本音楽の種目は、
・雅楽の「管弦」
・筝曲の段物(だんもの)・砧物(きぬたもの)
・尺八の本局 だけ。
⑨楽器、種目、流派によって記譜法が異なり、楽譜が読めない。
日本の楽譜は、器楽にも声楽にも適用できる音高記譜法の五線譜とは違い、楽器をどのように演奏するか、歌の旋律をどのように歌うかを記したもの。したがって楽器ごと、種目ごとに異なるのは当然。
以上、日本音楽の特色をまとめると
◆日本音楽は「細胞分裂的変遷」を遂げてきた。
×新しい様式が誕生することによって旧様式は消えてしまう。
○旧様式から新様式が分裂して生まれる形で、新旧が併存して残る。→少しずつ違う種目が多数存在。
◆「音の文化」だけが切り離されることなく、「文化の総体」として伝わる。
◆他の諸芸術(文芸、舞踊、演劇)と結びついたものが多い。→総合芸術
◆大半が声楽。
◆声楽は、歌うような様式の「歌い物」とことばを唱えたり語ったりする様式の「語り物」の2種類。
◆一音節の母音に様々な音高の旋律をつける歌唱法が多いこと。「み」
◆基本的に複数の楽器や歌が一緒に同じ旋律を演奏する(ヘテロフォニー)。装飾法や時間的ずれによって、日本独自の音の重なりやズレが作られる。
◆各種目ごとに「旋律型」があり、これらを組み合わせて構成される。
◆楽譜は演奏の仕方を記す「奏法譜」「唱法譜」が使われる。
ここまで述べてきたことを念頭に置いて日本音楽に接すると、日本音楽がアジア諸国の音楽と色々な面で共通していることに気付くとともに、日本音楽のもつ独自性がしだいに明確になっていくことだろう。
《参考文献》
月溪恒子『日本音楽との出会い―日本音楽の歴史と理論』東京堂出版, 2010.